依存症の仲間と共に(まだ苦しんでいるアディクトに…)

依存症治療後からの日々の様子になります。

私が狂った理由と治療経過。

フラッシュバック

おはようございます❗️


昨日は

午前中 アメリカのアルコール依存症の仲間の

体験談 分かち合いのリモートがあり

同時通訳もあるということで

参加してみました。


自助グループ発祥の地アメリカ

参加者はチェックした時点で

200名超えでした。


私は18歳からお酒で接客をする仕事を

していました。

暴れたり喧嘩などしたことは

ありません。

バブルの恩恵を受けて

楽しかったし

天職だと思っていました。


しつこいですが

31歳からメンタルクリニックへの

通院が始まりました。


私は仕事を告知しているのに

アルコール飲酒について

何も言われたことは

ありませんでした。


病気は良くなるどころか

悪化していくばかり

その度に病気が悪い。主治医が悪い。と

転院を繰り返してきましたが

薬が増える。強くなる。


そんな治療しかされなかったので

30代は記憶が殆ど無く

孤独でした…


10年前

お義父さんに出会い

養子縁組をして戸籍上

親子になりました、


お義父さんの仕事再建のため

私は財産を全て失いました。


そこから

お金の怒り恨みからアルコールが

起爆剤となり

お義父さんへの暴力が始まりました。


私はお義父さんは殴られても仕方がない。

当たり前だとしか思っていませんでした。


お義父さんも私に酷いことをしたと

思いますが

私も

それはそれは酷いことをしました。


暴れること口論は日常的…

「殺すぞ!」ドタバタ劇

マンションの両隣は

引っ越してしまいました。

(うちが原因だと思います。)


2回鼻骨肋骨にヒビ?骨折させました。


手のひらを包丁で刺しました。


火を点けて火事にしようとしました。


ベランダから落下して救急車が

来た夜は

ご近所さん誰も出てきません。



お義父さんの家なのに

お義父さんの荷物を放り出し

締め出していました。


包丁は隠されて

ドアチェーンは外されました。


警察7回来たそうです。(お義父さん談)

多い時でパトカー5台来ました。



画像お借りしました。


発狂の最後は

土下座させ頭を踏んづけた私です。


そんな私にお義父さんは

出て行けとも手を挙げた事も

ありません。


流石に私もお義父さんが

可哀想になり

依存症科と言う専門科の存在を知り

今の病院主治医にたどり着きました。


15年かかりました…


薬物の事も正直に話をして

主治医から言われたのは

「貴女が本当に薬をやめたいなら

私はそのお手伝いが出来ます。

治療にあたりアルコールもやめて下さい。」

この初診が私の原点となりました。


私の暴力的な症状は

嘘みたいによくなりました。


お義父さんと暮らした8年を

思い出したら

涙が止まりませんでした。

お義父さんの腕には

私が引っ掻いた傷が未だに

残っています。


お義父さんごめんね。


でも お金返してよ。

お金がないと

私 老後どうしたらいいか

わからない。


読んで頂きありがとうございました。





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